　蒼瑾たちが野遊びしに足を運んだ山道は、今朝の冷え込みのわりにあたたかな気配に満ちている。黄葉した橡樹つるばみ、連香樹かつら、山毛欅ぶななどが混生する樹林に光が差し込み、視界を黄金色に染め上げる。踏みしめる朽葉はふかふかの絨毯のようで、先を歩く翠緑玉の足は兎みたいに弾んだ。
　風を切ってそよぐやわらかな金髪を結うのは蒼瑾の日課だ。後頭部に団子を結び、余りを背に流す髪型は最近の彼の流行りである。出来栄えに満足しつつ眺めていたが、その翠緑玉の後ろつきが木の根元で立ち止まった。しゃがみ込んでじっとするので、
「どうした？」
　蒼瑾が少女の肩越しに覗き込むと、褐色の小さな木の実が幾つも落ちている。翠緑玉は日の斑の中に煌めくひとつを摘み上げ、目を輝かせて蒼瑾を振り仰いだ。
「橡子だ」
「どんぐり？」
「橡の実だよ」
　頭上を指すと、さわさわと燦ざめく天蓋に翠緑玉は目を眇め、手のひらのどんぐりに視線を戻す。帽子を被った実が翠児の格好を彷彿させるので、たなうちにころころと転がして笑いながら、
「たくさんあるわ。もってかえりたい」
　無邪気に云うが、蒼瑾は内心呻ってしまう。どんぐりには虫が卵を生みつけるので、持ち帰ったのちに虫が湧くことがある。そうとは知らぬ幼少時、母と姉を凍りつかせもした。虫が苦手なわけではないが、幼心に後悔を刻む一件となり躊躇してしまう。殺虫処理もなかなか手間であるし、食べるにはアクが強くて向かない。大量に拾ったところで半数は処分することになるだろう。
「いっぱい集めても衣袋に入りきらないだろ。気に入ったもの二、三個までにしておけよ」
　翠緑玉は上衣の衣袋に手を突っ込んで納得したらしく、新たに拾ったひと粒を木漏れ日に翳して見比べる。蒼瑾の助言通り穴の開いたものや罅割れのあるものは避け、きれいな粒は都度陽に透かして品定めする。長くかかりそうだと踏んだ蒼瑾は、朽葉の上に半跏趺坐の格好をして待った。

　待つ間は安らかに時が流れた。辺りは依然として金色の光に満ち溢れる。鳥の声がはるかより響き渡り、枝を離れた葉がゆっくりと降下する。
　穏やかさの中で、翠緑玉の後頭部の団子だけが忙しなく揺れた。そよ風に靡くほつれ毛は蜘蛛糸の如く七色に輝き、少女の花容をより幻想的なものとして彩る。
　蒼瑾はこの妖婉な花魄が屈託なく動き回る様を見るのが好きだ。人形然として神秘的な気配を醸す容貌ながら、日々くるくると表情を変えては彼に付いて回る。愛らしいものを見てはかわいいと云い、美しいものにふれてはじんと感じ入る。機嫌を損ねると唇を尖らせ、かなしみには白玉を生み落とす。拙い言葉で感動の共有を試み、こちらの笑顔を引き出そうとする。普通の花魄ではないと人は云うが、蒼瑾にはそんな翠緑玉だからこそ恋しく慕わしい。
　もっとも外見と内面の懸隔については蒼瑾自身にも云われることで、他人には妖童などと囁かれたし、笑ったりするのかと驚かれることもしばしばで、憤懣を鎮めるのに難儀する。時には母から受け継いだ形質を恨めしくも思ったが──
　翠緑玉はそんな風に悩まない。ありのままの姿、魂の美しさのままに振舞う。蒼瑾はただ彼女を守りたいと願う。何にも染めず、宝箱に仕舞って独占したいと望んでいる──

「えらんだわ」
　物思いに耽るうちに翠緑玉の選定は終わったようだ。両手を差し出した翠緑玉に顔を覗き込まれた蒼瑾は、気後れを誤魔化すようにどんぐりを摘んだ。そのふた粒は熱心に選び抜いただけあって、帽子と果実の均整が絶妙にとれており、表皮に傷ひとつ見当たらず触り心地はすべすべしている。贔屓目を多分に含んだ評価だが、翠緑玉がこれぞと思ったものを選んだのだから他に劣るはずがないと蒼瑾は信じている。
「うんときれいなのにしたわ。わかさまにあげる」
　やや興奮してか頬は桃色に染まり、春の湖水を閉じ込めたような、きらきらした眸子を向けてくる。
　蒼瑾の眼裏まなうらに銀色の星屑が散らばった。奥の方でチカチカする目を瞬かせると、鼻がつんとするのを感じた。翠緑玉が選んだどんぐりは蒼瑾のために選られたのだ。彼にとっては虫食う木の実でしかなかったものが途端に意味を持ち、磨かれた宝石の如く輝き始める。
「俺のために──？」
　翠緑玉は小首を傾げる。彼女がしたいことは全て蒼瑾を想ってすることであって、他意はない。伝わらぬことがたまにあって、そう云う時はひどくもどかしい気持ちになる。
「そうよ。きれいなどんぐり、わかさまにあげるのよ」
　念押ししてもうひと粒も蒼瑾の手に移してやると、彼は捧げ持つように拳に閉ざし、額に押し付ける。広大な樹林の一画から彼女の荑手によって掬われたふた粒のどんぐりは、運命的な縁で蒼瑾のものとなったのだ。溢れ出る感情を堪えんと唇を結び、たっぷりと間を置いてから拳を開く。翠緑玉がそうしたようにどんぐりを翳す表情は、澄んだ秋空よりも晴れやかに開き、無数の星を散りばめた双眸からも喜びが伝わってくる。
「ね、きれいでしょ？」
「ああ、とても綺麗だ。──ありがとう、翠。大切にする」
　前髪を梳くように撫でられた翠緑玉は、満面の笑みを咲かせる。見たい笑顔、聞きたい言葉をようやくもらえた。彼女の使命は蒼瑾と喜びも悲しみも分かち合うことだが、中でも笑顔は一番のご褒美だ。翠緑玉も一緒に嬉しくなる。　それからふたりは言葉少なに頬笑み合い、黄金色のひとときを堪能した。

　余談だが、蒼瑾は翠緑玉からの贈り物をいたく気に入り、小袋に入れて首に提げている。自ら小袋を縫ったと知れるのは照れ臭く、襯衣はだぎの下に隠していたが、うっかり翠緑玉の目に触れて余計に赤面する羽目になった。お守りにしたことを素直に明かすと、その日彼女の口端は緩みっぱなしで、蒼瑾はなんともむず痒い心地で一日を過ごしたのだった。