　許衛きょえいと云う花売りの男が居た。許衛は真心の塊のような男で、人々から愛されていた。
　許家には色とりどりの花木があって、時期になれば競うように花弁を綻ばせ、華やいだ。許衛は中でも特に白木蓮を愛し、その花だけは商売の為に手折ることはなかった。

　ある日、許家に天上人の如き花貌の女が訪ねてきた。美女は許衛の実直さに惹かれたと云い、縁談を申し込んできた。許衛は恥ずかしがって何も云えなかったが、老父母は申し出に喜んだ。とんとんと縁談は纏まり、二人は仲睦まじい夫婦となった。夫婦手を取り合って花木を世話し、手先の器用な新妻は花を加工して髪飾りを作り、許衛が都へ売りに行った。生花の髪飾りは都の娘たちの人気を呼び、貴族からも声が掛かるほどになった。収入は決して安定的ではなかったが、四人は慎ましやかに、幸せな生活を送っていた。美しい妻を娶ってからと云うもの、許家は増して華やいだのだった。

　許衛には許護きょごと云う弟があった。腕っ節の良い許護は、都で軍務に就いていた。その頃蛮族が攻め寄せ、将軍である許護は兵を率いて出陣した。
　襲われたのは許護の故郷であった。蛮族を村外れで駆逐したものの、村は壊滅的に踏み荒らされていた。許護は失意のまま実家を目指した。家に帰ると満開の花々は血飛沫を浴びていた。白木蓮の木の傍に嫂が佇んでいる。
　──義姉上、ご無事でしたか。
　喜んで駆け寄ると、嫂はつと頭上を仰ぐ。許護が同じように視線を移すと、枝に老父母と兄の首が吊されていた。
　──この木蓮を守ろうとしたあの人を嘲笑い、見せしめにしたのです。
　変わり果てた家族の姿に許護は言葉を失う。
　──……無念でござる。手厚く葬らねば。
　涕洟が顔を汚すのにも構わず、許護は三人の首を下ろした。
　嫂は白木蓮の木を凝視したまま動かない。
　──ああ、あの人とお義父様お義母様の怨嗟の声が聞こえる。
　嫂は両腕を広げて白木蓮の幹を抱いた。
　──聞こえませぬか護どの。一方的に肉体を奪われ、行き場を失った彼らの無垢なる魂がこの木に宿っている。そして、嘆いている。あまりに哀れです。
　そう云われて木に目を遣れば、血を浴びて真っ赤な樹皮の皺が、三人の悲嘆に満ちた面のようにも見えてくる。嫂が咽び泣くので、許護の目にもつられて新たな涙が溢れ出した。
　──せめて怨みを取り除き、御魂が穏やかであるよう、私が誘いましょう。永久花の美しい世界へ──
　嫂は真っ白な袖で涙を拭い、そのまま手を振り上げた。柔らかな袖がふわりと揺れる。すると、枝に実る蕾が一斉に開花し、その中から小さな少女たちが現れた。許護は驚き、開いた口が塞がらない。
　──無辜の魂から生まれし花魄たちよ。穢れなき新たなる生命よ。美しい囀りで啼いておくれ。魂を安らかに鎮める弔いの調べを奏でておくれ。
　嫂の声に応えて、小さな少女たちは鳥の声で啼き始めた。嫂が蒼穹へ向けて手を伸ばすのに合わせるように、少女らは必死に喉を震わす。美しく、高らかな歌声は白木蓮を中心に渦を巻くように響き合い、天へ天へと向かってゆく。
　許護は立ち尽くす。嫂の体が白く輝き始め、次第に強まる光量に溶けてゆこうとしていた。
　──義姉上、あなたは……？
　嫂は光の中で応える。
　──私は白木蓮を宿としていた花神です。花をこよなく愛するあの人……衛さまの心を独り占めしたくて、嫁入りしたのです。あの人は私を、木の姿であったときも、女の身であるときも同様に愛してくれました。なれど、人の世で非業の死を遂げたあの人の最期はあまりに哀れです。私は、彼らの御魂を連れて天上へ還ります。地上のなんと怖ろしいことか……。こんな場所に留まるのは不幸です。さようなら護どの。
　そうしてふわりと、嫂の足が宙に浮かぶ。許護は焦った。嫂はこのまま世を去ろうとしている。
　──義姉上！　それでは私はどうなりましょう？　貴女まで失えば、私は孤独です！
　嫂は寂しげに微笑んだ。
　──花魄の一人が、そなたの傍にありたいと願い出ました。独りになる貴男を哀れに思い、それを許しましょう。
　ざ、と風が吹き、白木蓮の花弁が枝からこぼれ舞う。白木蓮ばかりでなく、敷地内の花木という花木から花片が舞い上がる。白や紅の破片が交錯し、旋回する。花嵐を従えて、嫂とたくさんの小さな少女たちが光の粉を撒き散らしながら空を駆け上った。
　その群れから意志を持って離れる一筋の光がある。光は許護の掌に着地した。小鳥ほどの大きさの少女は許護の手に縋り付いたまま天を仰ぐ。
　──我が子よ。護どのをよくお慰めするのですよ。
　嫂の姿はそれきり青空の中に溶け消えた。

　後に残された許護は、白木蓮の木と庭を見た。花々は全て風に浚われ、枝が寂しく揺れるばかりであった。兄と父母の魂が、妻と共に天上へ行くことを望んだのだろうか。彼らは導かれたのだ。
　手の中の少女が小さく啼いた。
　木に死者たちの無念が宿ると、その枝から花魄が生じると云う。花魄は美しい姿で踊り、小鳥の声で囀る。しなやかに、鎮魂の輪舞を。清らかに、哀悼の歌を……

　それは、花神が見せた情けの奇跡。

花葬

「花魄」の起源と鎮魂のお話